システムエンジニアから高岡銅器職人へ 150年の老舗企業で奮闘する若手後継者の胸の内とは
400年の歴史を誇る伝統的工芸品の高岡銅器。鋳物(いもの)製品の約9割が高岡市で製作されているとされ、長きに渡り営業を続ける事業所も多数ある。明治時代に創業して約150年、鋳物製品を作る鋳造所の6代目候補者として、システムエンジニアから転身しものづくりに精を出す若き後継者の胸の内に迫った。
鋳造現場で作業に励む6代目候補者の般若さん
夕焼けのようなオレンジ色の光を放つ、ドロドロに溶けた銅と錫(すず)の合金の砂張(さはり)。
こうこうと燃える様子を見つめながら、タイミングを見計らい、あうんの呼吸で砂張が入った容器を2人掛かりで持ち上げ、鋳型(いがた)に流し込む。流し込んだ後は、専用の工具を使って鋳型の砂を取り除いていく。取材したのはちょうど、展覧会に出展する花入れの作品の鋳造現場だった。
Column
高岡銅器とは
高岡銅器とは、富山県高岡市周辺で作られている銅器。約400年前に加賀藩藩主の前田利長が高岡城に入った際、城下の発展を目的に鋳物師を迎え入れたのが始まりとされている。茶道具や仏具から、仏像や銅像など様々な銅器があり、国内の銅器の約9割が高岡市で生産されている。
高岡市の般若鋳造所に勤める般若雄治さんは、2016年から高岡銅器職人の道を歩み始めた。般若鋳造所は、釜や風炉といった茶道具を中心に鉄瓶、華道具、美術品などを鋳造している。
「最初は鋳造作業でパチパチと燃えさかる火を目の当たりにして、こんなのできるかと不安でした」
と入社した当時を振り返る般若さん。第一印象は真面目で実直。物腰柔らかな口調で答える。
「今も会社の職人に教えを請いながら、腕を磨いています。」
と謙遜する。
茶道具をメインに鋳造 鉄瓶ブームの際に転身を決意
般若鋳造所は1870(明治3)年に創業した150年続く老舗企業であり、現在5代目。般若さんは6代目になるべく、日々精進を重ねている。小さいころは鋳造所と実家が離れており、鋳物産業とはあまり触れる機会のない生活を送っていた。理数系の科目が得意で、東京の大学卒業後にはシステムエンジニアに就き、自治体や学校関係のシステム管理を担当していた。
転機があったのは、2010年代に中国で起きた鉄瓶ブーム。お茶文化の歴史が深い中国で、美術品の価値も併せ持つ湯沸かし器の道具の鉄瓶が注目され、岩手県の南部鉄器をはじめとした日本の鉄器への関心が高まる。茶道具をメインに鋳造する般若鋳造所にも注文が大量に舞い込むようになった。般若さんは実家に帰省した際に忙しい様子を目の当たりにし、手伝うようになる。仕事を覚えていくうちに、「長年続く伝統のあるこの会社を受け継がなくてよいのか」と思いを抱き、転身を決意した。
「父親からは特段継いで欲しいとは言われていませんでした。会社の職人も全員年上で、業界的に将来の見通しが良くなかったというのもあります。でも、伝統工芸を辞めるのはもったいない、火を消したくないと思いました」
と顧みる。
大量注文のあった鉄瓶ブームは去り、今は少量で様々な用途に使用される製品が求められている。
「我が社の強みは鉄と銅で様々な種類の製品を作れる点。それを大事にしていきたいですね」
と力を込める。
失敗を重ね肌感覚で学ぶ日々
銅器にも色々な種類があり、特性を覚えるのが大変だという
「何度も失敗を重ねて、肌に覚え込ませるように学んでます。自社には60年以上も職人として従事する方もいますので、代々伝わる技術を習い、製品に生かしていきたいですね」
と熱っぽさを見せる。
製品の販売は主に卸売業者で、商品を購入する客と直に接するのは茶道具の修理依頼だ。般若さんが作ったホームページから修理を受け付けているが、そのお客とのやり取りにやりがいを感じるという。
「茶道具は長年愛用され、代々受け継がれます。先祖代々の鋳造所を継ごうとする自分のありさまに似ていて、喜ばれると非常に嬉しいです」
とはにかむ。
伝統産業青年会での活動が息抜きと未来への力に
会社では一番若い年齢となる般若さん。同年代の社員がいない中での息抜きは、高岡伝統産業青年会の活動だった。
「もう卒業しますが、年齢が近く同じ業種の人と出会え、悩みなどを相談する仲間ができて良かったです。青年会に入らず仕事ばかりの生活だったならば、心配事を抱えてふさぎ込んでいたかもしれません。また、他の業種の方との人脈も広がり、色々な挑戦ができるようになりました」
と話す。
般若さんは実際に、同青年会所属のデザイナーと協力して錫鋳物のアクセサリーを開発した。
また、2023年には同青年会主催のイベント「ツギノテ」の運営にも携わった。同イベントは伝統産業に携わる102社の製品を展示し、2日間で約3800人を集め好評を得た。
「今後はいち業者として『ツギノテ』に携わり、ものづくりの文化を次代につなげていきたいですね」と満足げな様子で語る。
今後の展望について、般若さんは「今後は茶道具に変わる商品の開発をしていきたいです。今日見てもらった鋳造作業では、展覧会に出品予定の花入れを作っています。展覧会で作品が認められるよう、勉強する日々は変わりません」と話す。
伝統産業の火を絶やすまいと、異色の転身をした若手後継者。高温の溶けた明色の金属をじっと見つめながら、謹厳実直に作業に勤しむその心も、青々と燃えている。