井波彫刻師の内面に迫る!県外移住者の職人が語る「木彫りの魅力」

  • 井波彫刻師の内面に迫る!県外移住者の職人が語る「木彫りの魅力」-0

木彫りのまち、南砺市井波(なんとしいなみ)。江戸時代からの伝統工芸文化の匂いが香るこの地域に、県外から移住し木彫刻師として活躍する職人が久保大樹さんだ。木と一対一で向き合いながら四半世紀。職人となったいきさつや、仕事の魅力、移住者としての富山への想いなどを聞いた。

北海道出身の久保大樹さん

「中学のころから、漠然と日本らしい職人になりたいと思うようになったかなあ」
ほほ笑みをたたえながら職人を目指すきっかけを照れたように話すのは、井波彫刻師として四半世紀に渡り活動する久保大樹さん。
北海道千歳市に生まれ、子どものころから工作が好きだった。とはいっても美術・芸術系に道を選んだのではなく、高校卒業後に進学した新潟県の大学は人文系の学部。就職活動時、思春期に抱いた将来の夢が沸き起こり、新潟の工芸職人に相談したところ、井波彫刻協同組合を紹介された。
「木で何かを創り出すのが日本らしいなあと。井波彫刻は分業ではなく、1人でお客、そして木と向き合い、制作していく過程に心引かれました」
出会った時に感じた井波彫刻の魅力をこう話す。

Column

井波彫刻とは-1

井波彫刻とは

井波彫刻は、富山県南砺市の旧井波町で製作されている木彫刻品。主に、クスノキ・キリ・ケヤキなどの国産木材を使用し、人物や動物などを題材にして、置物やらんまなどを制作する。立体的で躍動感のある高度な彫り方が特徴で、ノミや彫刻刀を200本以上使い、精巧な作品に仕上げている。

大学卒業後に弟子入りして腕磨く

大学卒業後、久保さんは井波彫刻協同組合の徒弟制度を通じて弟子入りした。そこから5年間、親方と寝食を共にしながら腕を磨いていく。
弟子は修業時代に半数が辞めるそう。きっとドラマやマンガに出てくるような主従関係が絶対で雑用ばかりをやらされる厳しい日々を送っていたのかと聞くと、
「いやあ、全然。親方は本当に優しくて、息子のように可愛がってもらいました。だから苦労を感じたことはありません」
と、肩透かしを食らったかのような答え。しかしそれは富山県民の人情に触れたからこそ、文化風土を好きになり、職人として井波で身を立てる決意を新たにしたからなのであろう。

無我夢中だった若いころ

修行期間を終えるとすぐに久保さんは独立した。親方や同じ家系の職人から仕事を回してもらいながら彫刻師としての研鑽を重ねて徐々に自信を深め、それにつれて制作依頼も増えていく。
「若いころは無我夢中だった」と話す。技術に傾倒し、“精巧に彫れば良いだろう”という考えに至った結果、背伸びをするような彫刻で自分を大きく見せようとあがいた時期もあった。その作品を見たベテランの職人から「表面しか彫ってない。作品に訴えるものがない」と指摘された。
「本当の職人は作業が早くてきれいですが、自分は遅くてあせりがあったのかもしれません。物の本質を見て彫る。周りの先輩から教えられて今まで活動できています」
と顧みる。
毎日の作業に加え、伝統工芸の歴史の勉強や技術研究にも励んだ。知識と経験をコツコツと積み重ね、40代に差し掛かった時に、彫刻が楽しくなってきたのだという。
「行きついたのは自分のやれることをやる、かな。原点回帰というか。少しは彫れるようになったと感じるようになりました」
と振り返る。

天神様、らんま、動物系の彫刻を創り出す

現在は天神様の彫刻作品を中心に、らんまも手掛けている。
井波彫刻は丸太を製材し、必要な寸法を切り取る「木取り」を経て、大まかに削る「荒彫り」という行程に進む。その荒彫りが一番難しく、作品の立体的なイメージを思い描きながら彫るため、想像力と経験が求められる。修行時代や独立当初は、親方らが荒彫りした作品を仕上げる作業がほとんどだった。10年ほど経ってからイメージが出てくるようになってきたそうだ。

9月から12月が受注のピークになる天神様は、約1カ月かけて一つの作品を仕上げるペース。らんまはお客の家を訪問し、家の作りと配置場所を確認、それに見合う図案を描いての打ち合わせを経て彫刻作業に入る。お客と向き合って作品を最後まで仕上げるのも仕事の面白さだという。

また、動物をモチーフにした作品も得意で、久保さんの工房には、九尾の狐ならぬ三尾の狐や、翼が生えた豚などの作品が、愛らしい表情を豊かに見せて展示されている。

300を超えるノミと彫刻刀で制作

井波彫刻師は200本以上のノミと彫刻刀を持つとされるが、久保さんの道具は300本を超える。ずらりと並ぶ道具を素人目から見ても、一つ一つの特徴を覚えるのも大変だろうし、どれがどう違うのかさっぱり分からないと思うばかり。持つ際の手に馴染む感覚や、刃物の軟鋼の度合いによって使い分けており、この繊細さが高い芸術性を生み出しているのだ。毎年何本かを追加するそうで、道具一つにもこだわり、技術に力を注ぐ職人気質が垣間見えた。
「例えば天神様でも、作る人によって表情や全体のバランスが違います。僕の作品の表現が気に入ってもらえるのは嬉しい」
と久保さん。インターネットなどの大きな販路展開は考えておらず、作品を通じて出会った人との引き合いを中心にした販売を大事にしている。

「おかげさま」を大事に 死ぬまで彫刻と向き合いたい

職人となって南砺市井波に居を構えてから25年、今ではすっかり富山県民となった久保さん。富山の魅力を尋ねると、
「山がすごいきれいですね。富山に来てから登山が趣味となり、毎年必ず1度は山に向かいます」
とはにかむ。移住当初は名称とのギャップに戸惑ったかぶら寿司やヨゴシといった郷土料理も、今では食卓に欠かせない大好物の一品になったそうだ。
今後の夢については、
「日本一木彫刻師が多い井波という町に受け入れられ、周りの人に支えられてなんとか生きています。これからも伝統的な彫刻作品をずっと作り続けたい。死ぬまでやり続けられれば幸せです」
とほがらかに話した。
「おかげさま」の精神をモットーに、伝統文化の護り手は今日も変わらず木と向き合い、淡々と作業に勤しんで鍛錬を積んでゆく。

この記事に関するタグ

ランキング

#人気のタグ

テーマ

エリア

ライター紹介

ライター一覧を見る

同じテーマの記事

このライターの記事