魚津漆器(うおづしっき)を受け継ぎ、使い手を育てる
『鷹休漆器店(たかやすみしっきてん)』4代目店主 鷹休 雅人さん
富山県の北東部に位置し、蜃気楼(しんきろう)や魚津水族館、埋没林(まいぼつりん)博物館、ユネスコ無形文化遺産に登録された魚津のタテモン行事と、見どころの多い魚津市(うおづし)。
市内で、かつてアーケード商店街として親しまれた中央通りの一角に『鷹休漆器店』があります。
4代目店主・鷹休雅人(たかやすみ まさと)さんに、魚津漆器の歴史や新しい取り組みについてお聞きしました。
一大漆器産地だった魚津
室町時代末期に端を発する魚津漆器の歴史は長く、中央通り周辺はかつて漆器業者がひしめき合う一大産地でした。魚津近郊の山々には、木地の材料となるブナやトチ材が豊富で、江戸時代には加賀藩の庇護のもと日用雑器が盛んに作られ、“魚津塗り”としてその名が広く知られていました。
堅牢かつ安価で実用的であることが特長の魚津塗りは、優雅で美術的な県内外の漆器とは好対照で、その分庶民にも広く親しまれたと言えます。
ただし昭和10年代に入ると、戦争の影響で漆液の購入が困難になり、漆器自体が贅沢品として2割の物品税がかけられたり、工員が招集されたりして、生産が立ちいかなくなります。戦後、魚津漆器は復活を試みるが、魚津大火での家屋消失や時代背景の変化も加わり、現在、県東部で店を構えるのは『鷹休漆器店』一軒のみとなってしまいました。
鷹休漆器店
住所|魚津市中央通り1-7-12
営業時間|9:00~18:30
連絡先|0765-22-0857
100年以上の歴史をもつ 富山県東部唯一の漆器店
『鷹休漆器店』は魚津漆器の全盛期である大正10年に創業されました。
雅人さんは、3代目の父親や叔父が作業に励む様子を間近で見ながら育ちました。
引き継ぐように言われたことはなかったそうですが、愛着のある漆器店を継承するのは自然なことで、高校卒業後は石川県立輪島漆芸技術(わじましつげいぎじゅつ)研修所に2年間入所しました。卒業後も昔ながらの徒弟制度が残る輪島塗の店舗で修業経験を積んで年季奉公を終えた後、、20代後半で魚津に戻ります。
帰郷してわずか数年で父・昭夫さんが他界し、戸惑いながら4代目店主となった雅人さんですが、そこからすでに四半世紀が過ぎました。魚津漆器をもっと知ってもらえるようにと、揺らめく蜃気楼をイメージしたぼかし入りのお椀や、気軽にコーヒーを飲める漆塗りのマグカップ、世界に注目される日本らしいお弁当箱、すべらない箸など、これまでさまざまな商品を手がけてきました。
うつわ以外にも魚津らしさを込めて
また、魚津漆器を発信するために、毎年魚津市で開催される全日本大学女子野球選手権大会のメダルや、各種スポーツ大会の盾やトロフィーを、地域の木地屋や仏具店、イラストレーターとともに、漆塗りで製作するなど、これまでにはなかったジャンルやコラボレーションにも挑戦しています。
眠っている漆器を甦らせる 「休眠漆器復活プロジェクト」
新たな取り組みとして注目されているのが、「休眠漆器復活プロジェクト」です。高度成長期とともに生活環境が一変し、冠婚葬祭などには必需品だった御膳や揃いのお椀の出番がなくなり、多くの漆器が蔵や物置きにしまいこまれています。
長期間眠っているばかりか、廃棄されるケースも少なくない現状を、鷹休さんは何とかしたいと考えます。持ち主から提供いただいた漆器を目利きして、クリーニングしたあと、漆器を使ってみたい個人やお店に引き継ぐ活動を始めたのです。
これまでにいくつものマッチングが成立し、漆器がリユースされているそうです。和食店が引き取ることもあれば、個人が、御膳をおしゃれな花台として利用することもあるのだとか。鷹休さんは他にも、美術系の大学に、それらの漆器を材料としてデザインを施し、新たな価値を与える“アップサイクル”を提案するなど、漆器が何らかの形で役立っていく仕組みを作ろうとしています。
被災した輪島塗り職人を励ますために
そして、この復活プロジェクトで得られた協力金を、鷹休さんは、能登半島地震で被災した輪島塗りの職人らのもとに、お見舞金として届けます。家や仕事道具を失い、各地に散り散りになってしまった修業時代の兄弟子や弟弟子は15人以上にのぼるそうで、一日も早い伝統文化と経済基盤の復興が待たれます。
日本を象徴する文化として、 欧米では「JAPAN」と呼ばれる漆器
鷹休さんのおすすめする漆器は、自身の店以外に、魚津駅や富山駅、富山空港、富山市ガラス美術館ほか県内10カ所、またネットショッピングでも購入することができます。
土産店で商品を見て店舗に足を運ぶ観光客もいらっしゃるそうです。軽くて、口当たりがやわらかく、自然素材である漆器の素晴らしさを広めると同時に、使い手を育てるという役目を自らに課し、魚津漆器を未来に繋げようとする鷹休さん。
陶磁器がCHINAと呼ばれ、中国の代名詞となっているように、欧米では日本を象徴するものとして、JAPANと呼ばれる漆器の価値を、日本人こそが再発見すべき時なのかもしれません。